03 津野町在住 熊田 光男 津野町観光ガイド てっぺん四万十風の会 会長

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03 熊田 光男 津野町在住 津野町観光ガイド てっぺん四万十風の会 会長

津野町で生まれ育ち、現在も在住。幕末の志士である吉村虎太郎を敬愛し、その功績を伝播する役目を担いながら、観光ガイドとして津野町の魅力を県内外に発信している。

高知県の中西部に位置し、
山々に囲まれた津野町。
豊かな自然だけが自慢ではなく、
実は、高知県のいろんな
“はじまり”を持った町でした。

それでは、津野町で生まれ育った
熊田さんがおすすめする
とっておきスポットをご紹介します。

高知人も知らない逸話や、
意外なルーツがたくさん!

まずは⾃⼰紹介をお願いします!

津野町で甘とうがらし農家を営む傍ら、県内外のお客様に向けて観光ガイドを務めている熊田です。

高校を卒業後に津野町の役場に勤め、以来、この町の観光資源の発信や文化の継承に携わってきました。津野町は申し分のない自然に囲まれたエリアですが、そこに点在するスポットが高知を代表する観光名所のルーツになっていたりもするんです。

そして、坂本龍馬に多大な影響を与えた吉村虎太郎の出生地であり、とある洞窟には龍神が集うと言われる逸話もあるほど。そんな、県内の人もまだまだ知らない津野町の魅力を紹介していきます!

地元のみんなで登って探した、
四万十川の源流点。

津野町に四万十川の源流点があったんですね。

四万十川が最後の清流として全国的に話題になったのが、昭和58年頃です。その時、「源流点が津野町にあるぞ!」となったので、地元のみんなで山を登り、見つけたのがこの場所。湧き水のような場所は他にも点在していますが、源流点にふさわしい流れがあるここをみんなで選びました。

源流点ならではの美しい水質を楽しんでもらうのはもちろんですが、ここに行くまでの道のりにもたくさんの見所があります。岩肌が菌類によってピンクに発色している場所があったり、斜面の一面が苔に覆われている場所があったりと、本当に幻想的なんです。ガイドなしでも行けますが、見落としたくない方はガイド付きをおすすめします。

個人的に好きな季節は、新緑が美しい春と紅葉の秋。春は小鳥のさえずりもより聞こえますし、日本最小の鳥の一つであるミソサザイが親子で飛んだりもしています。自家製のバードコールも大活躍ですね。秋は紅葉の時期と、真っ赤な落ち葉が林道を敷き詰めた晩秋も絶景なので、ぜひ!

稲葉洞では全国の龍神が集い、
サミットを開催してるそうです。

熊田さんが稲葉洞をおすすめする理由は?

昭和48年頃に鍾乳洞として発見され、龍神様を祀っている場所です。現在は150mほど奥まで入れますが、途中に川が流れているため30mほどまで進むことができます。洞窟を入って少し進んだ所に龍のウロコのような場所があり、まるで龍のお腹にいるような気持ちになれるんです。

正式な書物などは残っていないため、ここからは私の体験をお話しします。稲葉洞のガイドをしていた時、観光客の方がなかなか出て来ないので理由を尋ねたら、「中で龍神様に挨拶をしていました」と言われて。そして、洞窟を後にする際、洞窟の入口付近に白い帯状の雲が発生し、空に昇って行ったんです。その光景は、まさに白い龍そのものでした。

また、稲葉洞にいた観光客の方に偶然声をかけたことがあったんですが、その方からは「ここには白い龍がいて、全国の龍神様の元締め。定期的に龍神様のサミットが行われている場所ですよ」と聞かされて…。津野町でも私しか経験していない話ですが、それほど神々しい場所なんです。辰年生まれの方は、ぜひ訪れてみてください!

吉村虎太郎は
土佐藩の脱藩第一号!
龍馬の先を駆けた人物。

熊田さんが想う、吉村虎太郎の魅力とはどんな所ですか?

高校を卒業して役場に勤め出し、津野町の文化について勉強していくうちに吉村虎太郎の偉大さに気づきました。津野町で生まれた虎太郎は、動乱の世の中でも常に民の暮らしを良くするために活動し、土佐藩の脱藩第一号でもある人物。高知県と言えば坂本龍馬がクローズアップされがちですが、龍馬が脱藩する道筋を作ったのも実は虎太郎なんです。

彼の人柄の良さは、高杉晋作や武市半平太の妻の言葉にも残っていますし、とにかく自分よりも人のために尽くしてきた人物。2017年に復元された吉村虎太郎邸には月に1〜2度は訪れ、当時の虎太郎のことを想いながらゆっくりと過ごしています。私も虎太郎が掲げた「一心公平無私」のごとく、人のために尽くしたいなと。

吉村虎太郎邸では、名物料理もあるんですよね?

地元の食材を使った吉村虎太郎御膳は、ぜひ味わってもらいたいですね。季節によって内容は変わりますが鮎やアメゴをはじめ、こんにゃくの竜田揚げ、山菜の天ぷらなど、自然の恵みを生かした逸品がたっぷり入っています。ボリュームも満点ですし、これで1,500円はすごく価値があると思いますね。

芳生野早瀬 よしうのはやせ の一本橋は、
沈下橋の原形なんです!

昔ながらの丸太の橋がまだ残っているんですね!

四万十川の観光名所として有名な沈下橋ですが、そのモデルと言われているのが 芳生野早瀬 よしうのはやせ の一本橋です。長さ9m、幅50cmほどの丸太を3枚かけた橋で、現在でも住民たちが行き来する大切な橋として利用されています。

雨で増水すると崩れてしまうんですが、丸太が流されないようにワイヤーで固定し、その都度みんなで元通りに直しています。コンクリートの橋をかけると強度は上がりますが、川の生態系を崩してしまいますからね。面倒ですがそれもまた、自然を大切にしている津野町ならではだと思います。

上流か下流に向くか、どっちの景色が好きですか?

私は下流に向いた景色が好き。ここは、自然に逆らっていない川の流れがあるんです。いくつもの川のうねりができていて、魚にとってのエサ場、休憩場、隠れる場があり、そんなありのままの姿を観光客の方にも楽しんでもらえれば。橋の上に座ってぼーっと眺めるだけで、癒されると思いますよ。

吉村虎太郎像とともに、
高台から津野町の景色を。

ここにはよく来るんですか?

月に2回の清掃時に手伝いに来たり、自分を奮い立たせたい時に来ています。高台にあり、まるで住民を見守っているような感じなので、ここに来る度に「故郷を頼むぜよ!」と言われている気がして。下から見上げていると、自分もさらに頑張りたくなるんです。

何の因果か、偶然にも薩摩の方も向いているのも、感慨深いなと。また、新緑の季節も美しいですが、私のおすすめは秋!一面が紅葉に包まれる11月中旬頃はとてもロマンチックで、真っ赤に染まった周囲の景色と虎太郎像の勇ましさが、とにかく映えますね。「吉野山 風に乱るるもみじ葉は 我が打つ太刀の血煙と見よ」は、彼の辞世の詩です。

高野の廻り舞台は、
日本で唯一のからくり舞台!

どんなからくりがある舞台なんですか?

明治6年に建築されたもので、国の重要有形民俗文化財にも指定されています。一般的なからくり舞台は、舞台下を人力で廻していきますが、ここは舞台横のハンドルを廻す「鍋蓋上廻し式舞台」。現存する手動式の舞台としては、日本で唯一の貴重なものなんです。

どんな時に利用されるんですか?

秋祭りの膳部屋として使用されますが、一般公開されるのは、4年に一度開催される農村歌舞伎です。地元の住民たちが歌舞伎役者になって演じている舞台で、今年の10月が開催年!私もこれまでおつぼね、代官、村人を演じてきました。10月は虫の音や月の光も素敵で、雰囲気も最高なので、無事に開催できることを祈るばかり。10月に来られる方は、ぜひ問い合わせてお越しください!

壮大な自然を体感するなら、
四国カルスト天狗高原で!

熊田さんが天狗高原に惹かれる理由は?

山口県の秋吉台、北九州の平尾台と並ぶ、日本三大カルストの一つが四国カルストです。愛媛県と高知県の県境にあり、高知県側は天狗高原とも呼ばれています。南国高知らしからぬ山岳の景色が素晴らしく、同じ景色は二度と見れないと思えるほど、刻々と変わる壮大な自然美を楽しめるのが大好きな理由ですね。

夏は夕方頃から霧が立ち込めて幻想的ですし、秋は日暮れから夕日までの時間帯がとにかく絶景。展望台もあり、天狗高原内は自由に散策できるので、お気に入りの撮影スポットを見つける楽しさもあります。

個人的には展望台を少し下って、高原を見上げる場所がおすすめ。石灰岩が羊の群れのように見えて、空とのコントラストがとても美しいんです。私は15〜16歳くらいから通っており、すぐ近くの天狗荘で事務局長を6年間していた経験もあるので、ガイドは任せてください。天狗高原の魅力を120%お伝えしながら、旅の思い出づくりのお手伝いをさせていただきますよ!

川好きの聖地であり、
土佐藩の脱藩第一号である
吉村虎太郎の故郷へ!

これから⾼知県を旅する⽅々に⼀⾔お願いします!

私が生まれ育った津野町は、日本最後の清流である四万十川の源流点があります。日本中の川好きの聖地でもあります。また、明治維新のキッカケを作った勤王の志士、土佐藩脱藩第一号でもある吉村虎太郎の故郷でもあります。

魅力いっぱいの津野町に、
みなさんぜひ遊びに来てください!待ってます!!

お気に入りスポット Favorite Spot

熊田さんのお気に入りスポットを
まとめてご紹介します。